月山ワインの歴史

修験者がディオニソス!?

 もともとワインなるもの、その歴史は古く、人類が地球上に出現してほどなく生まれたと言われている。以来人々は、ブドウの樹を「生命の樹」と呼び、酒の神ディオニソス、別名パッカスをあがめて、ワインをつくってきたのである。
 澄んだ空気ときれいな水…。豊かな自然に恵まれたここ(旧)朝目村でも、ワインという名所も知らなかった昔から、地元の人々や修験者たちが野生の山ぶどうから「どぶろく」を作り、滋養強壮、あるいは貧血、疲労回復などに効能があるとして愛飲する風習があったという。いうなれば(旧)朝日村のディオニソスは、霊峰出羽三山の修験者たちといったところか。
 ただ、自分たちでつくって自分たちで飲んでいるうちはよかったものの、それを誰かに「分けてあげる」となると、税務署が黙ってはいない。おりしも一村一品のブーム。北海道で山ぶどう系のワインを造ったという話を耳にして、「山ブンドならなんぼでもある。おら方でもやってみんべ」となった。
 昭和40年代後半のことだった。

月山ワインの誕生

「なにが大変だったって、免許をとるのが、一番苦労しました」
 (旧)朝日村のユニークな点は、酒類製造の免許を取って製造の音頭をとったのが、農協であること。
 なにしろ酒税法のイロハも知らずに税務署にかけあい、製造技術者がいるかと聞かれれば「どぶろく関係者がいるから」と答える具合。何回も交渉した結果、なんとか免許も取得し、「山ブンドで商売なるのか」と半信半疑の農家に坪びかけて、昭和54年に製造開始。翌年の国税局の鑑定は「良」。ここに「月山ワイン」が誕生したのである。

山ぶどう100%で造られたワイン

香り、コク、昧は、原料から

「なんぼでもある」と豪語した山ブンドだったが、いざワインとなると自生のものでは年によって精度がまちまち。で、栽培しなければ、となったが、専門家でさえ「山ぶどうの栽培など聞いたことがない」。
 研修に出かけたり農家を募ったりで、試行錯誤の上、原料の生産体制を整え、現在では70ほどの農家が山ぶどうの栽培を行なっている。
 ともあれ、ワインの味を決めるのは一に原料、二に管理。「山ぶどうそのもののコクをいかにひきだすか。発酵方法や酵母を変えて…そうですね、納得のできる一本ができたのは7、8年目でしょうね」と語るのは、ワイン醸造主任の赤松博美氏。もちろん「どぶろく関係者」ではなく、農芸化学専攻の専門家。月山ワイン誕生のときから醸造を担当している。
 あの小さな粒に、4つも種を持つ山ぶどう。原料のうち55%しか果汁にならないという。「糖度が高く、適度な渋みがあり、適度な邑があり、粒が大きく、果汁率が高いもの…これがいい山ぶどうの条件」をめざして、改良にも取り組んでいる。
 昭和55年、3,000本のロゼからはしまった月山ワインも、今では多くの方々に愛飲されています。
「酒は百薬の長といわれていますが、私たちは不老長寿の薬は月山ワインにあり、と言われるように頑張りたい」と、赤松さんは語る。